atelier shot 2011.4.15
平成23年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沿岸を中心に甚大な被害をもたらした大災害、「東日本大震災」が発生。被害を受けた多くの皆様にお見舞い申し上げますと共にお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。
未曾有の大災害という事がまさにあてはまる今回の災害、同じ場所にいて被害を受けた人助かった人、命というものは人の年齢や人格、業績といったものに関係なく終わりが訪れる。命が助かった者が亡くなった者より優れていたものを人は「運」というけれど、「運」が悪かったで済まされては残された人々にとってやり切れない事も事実。やはり「良運」をつかむには少しでも何かを意識しておくことが必要なのだろうか。それがもしかすると生命力というものなのかも知れない。写真は私の携帯電話。ストラップが犬笛になっている。特に意識して付けている訳ではなかった。なにか気が利いたストラップが見つかるまでのつなぎと思って付けていた。だけど今回の災害を感じながら、もし瓦礫の中に閉じこめられた時に思いがけずこの犬笛が役に立つのかなと思った時から、もう私のストラップは変わることが無くなった。
自分自身生命力があるとはとうてい思えない。ストイックな生活を送っているわけでもなく、酔っぱらって車にはねられることなどいとも容易に想像できる(実際若いとき酔っぱらって道路に大の字で寝てしまい同行者が歩道に引きずってくれた事があった)。寿命は死ぬまでが寿命と思い、長い短い太い細いという意識は持たない、だからやり残した事で悔いが残るという考えも持たない様にしている(ちょっと宗教的だけど)。ガウディは路面電車に轢かれ亡くなった。聖家族教会を造っている最中の事だった。ガウディが生き続けたからといって教会が完成していた訳でもなく、今もガウディの意志を継ぎ建設が続く。聖家族教会と一緒だとはもちろん言えないが、町づくりなどは同じようなことだと感じる事がある。
町はすぐに完成する事を考えて焦って進めては結局厚みの無いものになる。先人が積み上げてきた良いものを継承し、負なる物をいかに転換できるか考え今自分が出来ることやるべき事を考え行う。いま昇華出来なくとも数十年後百年後の結果の一行程と考えれば焦る事はない。20世紀の都市計画まち作りは、建築家都市計画家のトップダウンで数年後十数年後のオーダーで完成をみてきたが、21世紀のまちのあり方は少し違うように思う。歴史も感じ未来も感じ、まちそのものが息付いている、いつまでも現在進行形な町。そんな生きているまちの活発な一つの細胞で有りたいと思っている。
もう一枚の写真は震災一ヶ月後の被災地(宮城県名取市)の姿。建築家協会で災害支援活動にうかがった際移動中に撮影した。まだまだ傷跡が生々しく残っている。こういった被災地が数多く有りいずれ復興、町づくりを進めて行くことだと思われるが、負(災害)を意識するばかりにあまりにも今までとかけ離れた町の姿にならない事を願っている。日本という国は災害国で過去何度となく大きな災害に見舞われてきた。建造物の材質上、火災により一町が消滅してしまうことも有った。しかし再建された町の姿は決して前の姿と180度違う姿ではなかった。もちろん負を克服するための工夫はされてきたが、その町のその町らしさは継承されてきた。だから「故郷−ふるさと」を感じてきている。災害等が無くても町の姿が大きく変わろうとしている昨今、新しく造られるまちは未来の象徴であって欲しいと思っている。もしかすると未来に大切な物は、忘れ去られた過去、忘れかけようとしている今の中にあるのかも。決してトップダウンでなく、数年といったオーダーでなく、今までの住民、未来の市民が自分の「故郷−ふるさと」と誇りをもてるような、そんなまちになって欲しいと心より思っている。
この災害を契機に「Twitter」と「Facebook」を始めた。私のこの拙文にも多少なりとも読者がいて、始めた事を話したら「ツイッターやフェイスブックに書き込む前にこのHPのTOPをまめに更新しなさい」とお叱りを受けた。確かにおっしゃるとおり・・・。
この続きはまめな更新でお伝えするということで!(長文書いて分けてアップするとまめに更新できるぞ、って姑息なテクニックを思いついた。いと)
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