過去記事(フェイスブックまとめ2016.08.15)その1
半年間のFBダイジェスト転載をお楽しみください。^^;(いと)
2016/03/14
先週は色んな事が満載な週でした。 月曜日に大阪で会議が有り、前乗りで大阪入。最近飲食店が急速に増えた福島駅界隈に。隣県の福島でなく、大阪の福島^ ^ 元々路地の多い住宅街だったところに15年前にバーができ、10年程前にイタリアンができたところから徐々にお店ができ自然発生的に街が息吹いてきたそうです。 昔ながらの路地をそのまま生かし、建物も昔ながらの木造建築を生かしているので、最近できた飲食街って感じないところがいいですね。 おすすめエリアです!
このイタリアンのお店ができてきた頃から人が集まり出したとか。 ガード下には卓球場が、昔ならビリアード場だったでしょうね^ ^ 工事用仮囲いもストリートアートっぽく。あちこちに行列が出来ているお店もあり、県外のたい焼き屋さんまで出店^_^;
月曜日の会議は歴史的建造物の保全活用を推進する事に関しての物。 現行法では歴史的建造物の保全がなかなか厳しい状況ですが、条例によりその辺をクリア推進しようという会議。 これから少しずつ古い建物も残しやすくなるでしょうかね^ ^
火曜日は山下達郎のコンサート。相変わらず長時間で^ ^今年は今迄で最長3時間半のライブ! シュガーベーブ時代の曲、大瀧詠一氏を追悼した曲などなど、あっという間の3時間半でしたね^ ^
水曜日は日帰り東京出張。現場監理や打合せ、プランや見積り精査など通常業務ももちろんやりながら忙しなく動き回った一週間でした。 最後の週末、新潟市では酒の陣でしたが、長岡で建築家協会主催の学生卒業設計コンクールの運営お手伝い。 週末はプレゼンや現場打合せが有りまるまる居れた訳では無いので作品を熟読した訳ではなかったですが、中でもひと際興味惹かれたのが写真の作品。 死刑囚の為の独房の設計。短い文章では説明が難しいし、テーマの捉え方に誤解を生じそうですが、設計した学生は真摯に生と死に向かい合い考えていた。 三賞にはなれなかったけどあれだけ審査員が意見を交わした作品もなかっのでは。「蛹(さなぎ)の死ぬ街」っていうタイトルも詩的で、 建築家というよりは映画製作したらって感じ^_^; 最新、近々未来の建築の中にはかつての映画映像内で見た様な物も有るので映画映像が建築に影響を与えていないとは言えない。 全国大会へコマを進める事はできなかったですが、審査員特別賞を獲得。彼の今後も興味深いね^ ^
16/03/25
古町花街にある旧置屋「川辰仲」で能解説と謡実演、琵琶の演奏。 ただ公開するだけでなく、活用する事が大切ですね^ ^ 耳なし芳一、圧巻です!
http://blog.livedoor.jp/sava_avas/archives/8111692.html
16/03/27
NPO法人掘割再生まちづくり新潟の「堀割シンポジウム」。会活動報告の後、東京スリバチ学会皆川典久さんの基調講演に続き、 新潟のまち歩き達人野内さんと国土交通省新潟国道事務所所属のドボジョ今さんを交えての鼎談。あっというまの3時間でした^ ^ 地形注視のまち歩きはかつてはコアでディープなマイナーものだったかもしれませんが、今や人気の的ですね^ ^。 コアでディープさは変わってないのでしょうけれど、 案内人の着目点に対しての「愛」や案内するシナリオ(野内さんいい事言います^ ^)が人を惹きつけるのでしょう! 夏の袋津~大江山砂丘~沢海のまち歩きイベントにおおいに参考になりました^ ^!
16/03/29
日々日の出が早くなって来ましたね^ ^ この子達が早起きなので、うちは早起きなのですが、これからは益々早起きになります。 我が家、カーテンが無く、有っても障子。 朝日と共に始まる朝の季節になって来ました^ ^
16/04/06
今回の役瓦はカピバラの阿吽。画家でもある施主さんのイメージスケッチから鬼瓦師が忠実に成型。 狛犬の阿?、シーサーの阿?とはまた一味違いユニークな鬼瓦。魔除けというよりはこの家のシンボルですね^ ^ 近くに安田瓦の産地が有るメリットです!
16/04/09
我が家は西側にも大きな開口部があるのですが、西日に照らされた樹木のシルエットが丁度良く障子に映りました。 木に葉が生い茂る夏より今位の方が美しいかな。 西側の窓も良いものです^ ^週末のこの時間に自宅に居るのも稀ですが、これから町内会会合ですので^_^;
16/04/10
アナタニツナガル展最終日、すべり込みで見てきました。
最終日に内容を伝えるのは、行ってみたいと思う人には酷な話しですが・・・^^;
作品鑑賞備忘録ということでご容赦。
以下長文にてご興味あったらお時間ある時にでも^^。
折元立身の「パン人間」は自分の中では理解不能なところが残りつつも、パンはキリスト教で身体(肉)を表し、外見的個性を表す顔をパンにすること、その姿で鳥やウサギといった動物と絡んでパフォーマンスをすることで、人間も他の生き物と同じ動物だという事を言いたかったのか。アルツハイマーを患う母を看、共に生きる姿を表す作品は、生命そのもの、繋がる生命愛を表現したかったのか。母を看護する動画も作品として有ったけれど、まだまだ未熟な私は注視できなかった。その作品の前で涙していた観覧者がいて、それだけ人の心に入り込む作品だった事は事実です。アートは「生活を豊にするスパイス」と思ってますが、折元の作品はかなり濃厚な刺激の強いスパイスでしたね。
岩井茂昭の作品を観るのに一番時間を費やしました。空き家を数人で取材しその空間から感じる事を言葉に発し、その場の映像と共に会場に作られた再現空間(厳密には映像イメージを増幅させるための疑似空間)で上映。空き家となった空間の今は無き住人を想像し、又所有者からの思い出も語られる。多分この先この空間は継承されず消え去るのだろうけれど・・・・残念という思いとその空間の最後に与え与えられた思いが空間の供養になったのかな、とも感じました。もう一つ見入った岩井の作品は映像作品で、インドネシア他アジアで家族を取材し撮った、言うならドキュメンタリー映像。そこには日常、それも家族をとらえた日常が淡々と綴られてます。普通に料理をし食事をし昼寝をし子供の面倒を見る。イスラム教圏なのであたりまえの日常として礼拝の姿もある。どこの国もいつの時代も変わらない日常。変わらない日常は互い同じなのだから理解もできるはず、諍い争いは起こらないはず、なのだろうけど・・・。
田中仁、角地智史、神林美樹は新潟在住者として作品展示。障害者という切り口での作品ですが、誤解を恐れず言うなら、障害者、障害も一つの個性でそれは紛れもない事実という事。かつて新潟在住外国人が新潟を撮った写真展を見た時本人に、外国人だから見る人も興味を持っている、と言ったら(新潟の風物風景も見え方が違っているだろうからと言う意味で、ネイティブとは違う人、という意味で言ったつもりでしが)、外国人日本人関係ないだろう俺の視線だ、と言い返されました。もっともなのですがね、新潟、日本で生まれ育った人とはあきらかに違う個性は事実、その個性からの視点に新しい発見、感動が生まれるのも事実と思うのですが。同じ事が田中や神林にも言え、角地という視点が重要とも言えます。
すべての作品を見て展覧会のタイトル「アナタニツナガル」とはまさに的を得た良いネーミングだなと感じました。 建築も、最近はツナガリを無視見捨てた行為も多々あります。話題の新国立はどうでしょう。隈さんに設計が変わり(個人的には、新たに競技場を作るならザハの当初案を湾岸あたりに作って欲しかった)伝統というエッセンスを取り入れているようですが、本来ツナガリを重視するなら元々の競技場を上手く活用した計画であって欲しかった。
とにかく今の日本の建築、特に住宅はツナガルを無視した物が多い。両親、おじいちゃんおばあちゃんの家を使い続けよ、とは言いきれないけれど(良い物は使い続けて欲しいですが^^;)新しく作る物にツナガリが感じられない。ツナガルという事は今繋がっているという事だけではなく、将来ツナガリを持っているかということも重要で、つまり時間を経たときにツナガリを感じたり繋げようと思ったりする物であり得るかということ。建築はツナガル事で社会に記憶や歴史を作り、ツナガリのある物を感じることで豊かさを感じると、私は思っています。
そんなことをいつも考えている私にとって今回の「アナタニツナガル展」、自分にも的を得た良い展覧会でした