atelier shot 2011.8.7


  
 
先日某雑誌でエネルギーに関して対談をしたので、そのあたりのお話を。3.11以前は皆が電力発電等深く考えてなかったエネルギー。無限ではないとは思ってたろうが、捻れば押せばいともたやすく手に入ってきたものに対してどこでどのように作られ送られてきたかを考えていた人は少なかったのではないだろうか。
 かつて水道水が井戸水を利用していた時代その地下から与えれえる資源に関しては身近に感じていた。そこからくみ上げるわけだからその地の汚染に関しては敏感だったはず。上水道となった今捻れば当たり前に蛇口から出る水がどこから取り入れどこで処理されているかを考えている人は多くはないだろう。天然ガスもしかり、実家(母屋)は薪ストーブを使っているが、数年前まで風呂も薪の風呂だった。父が現役中は薪の調達も問題なかったが、リタイヤ後は調達する事を考える必要があり、また捻れば追い炊きができるボイラーと違い、追い炊きはひと仕事だったので入浴時間は集中していた。電気に関しては、原子力発電所の周辺地域の人は別として、ほとんどの人が3.11まではどの様に作られ送られてくるのか深く考えてもみなかったのではないだろうか。CO2削減には意識は持っていただろうけれどエネルギーの源を考え始めたのはやはり3.11以降だろう。特に原子力に関しては尚のことである。
 先日知人から一世帯で1KWの発電ができれば原子力発電は不要と聞き少し調べてみた。現在日本中の原子力発電所の総発電能力は4896万KW、日本の全世帯数が約4900万世帯だから計算上は1世帯あたり1KWの発電ができればそれに代わることができる。1kWはドライヤーや電子レンジの消費電力。全世帯というのは不可能としても、かなりの世帯で自然循環型や持続可能な資源での自家発電、コジェネレーション発電などを行えば電力の源をもっと身近に感じられるようになると思う。ドキュメント映画「ミツバチの羽音と地球の回転」で紹介されていたスウェーデンのエネルギーに関しての考えかたは低カーボン化の考え方だけでなくエネルギーの源について考えさせてくれる。地球の地盤下奥深くには燃え滾る源が眠っている。そこに到達できないとしても、温泉が出るくらいだから地熱は相当可能性があるエネルギーだと想像できる。風力波力もまだまだ可能性がある。都心部におけるラッシュアワーの駅床やギュウギュウの車内もエネルギーに換算すると相当のエネルギーが余ってそう。発電のシステム送電売電のシステムを変えていけば地産地消的にエネルギーも生産供給できると思うのだが。
 余談だが前出の映画「ミツバチ・・・回転」を見て思ったことの中で今でも印象に残っているのが、丹精をこめ農家が作ったビワのはね物を与えられて良好な自然環境の下育っている豚を見た時。基本的に食用となる為に日々生きている豚だが、そうして良い環境で育ち、良い食肉として一生を全うしたならば、その豚は自信を持って食用になるだろう、「どうだい、おれの肉最高だろう!」って。そんな豚の誇りを感じてあげたい。食用家畜って実はアスリートと同じで、自らの肉体を価値ある物にすべく努力(努力は飼育主か^^;)した結果ブランド産となる。逆にただ安く提供するだけのみのために劣悪な環境で育った食用家畜はアスリートとしても評価されずあわれだな〜と。食肉としての誇りも何も無くただ安ければいいという扱いで。ま〜フォアグラの場合はちと微妙だが・・・。でも食用家畜を前向きに理解できる、家畜の気持ちも少しは解ったような良い映画だった。(いと)
 
 
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