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atelier shot 2003.3.21 |
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たかが8坪のアトリエスペース。そんなにトピックになる物があるわけでもなく、ネタが切れるとここに帰ってくる。「出藍」、目標ですね。っていうか自分の最後の時にはそうなっていたいものです。しかし世の中には良い言葉がたくさんあります。私の座右の名は以前にふれた「素直に強く」で、これは父親から「そうなれ」と言われ続けてるうちに自分のものにしちゃいました。もう一つ、私の好きな言葉というものがあります。それは「鉋(かんな)ひと掛けの思いやり」で、それについて以前新聞の夕刊に寄稿依頼があって書いたことがありました。っで今回は「鉋ひと掛けの思いやり」についてです。(おいおい久々なのに前ネタの再利用かよ…)
<私の好きな言葉 「鉋ひと掛けの思いやり」2000年11月4日 新潟日報夕刊寄稿>
今年、品確法「住宅の品質確保の促進等に関する法律」が施行されました。建て主にとっては瑕疵担保が十年間保証され、造り手にとっては信用をなくした形の法令です。しかし、かつての造り手であったなら、かつての造り手と建て主の関係であったなら、この法律が生まれたでしょうか。何時の頃から両者の関係がこうも絆が無くなったのでしょう。バブル期、一部のデベロッパーによる乱開発・乱建築。消費税導入・税率アップ時の建て煽りや建て急ぎ。この経済変動期に、両者の関係が、脆くも崩れ去ったのかもしれません。金額や、工期のみで判断する建て主は、造り手への信頼感に欠け、この予算・工期だからこれでしょうがない、という造り手は、あまりにも思いやりに欠ける。かつて、両者の関係を磐石にしていた物は、この「信頼」と「思いやり」だったに違いないはずです。
現場という所は、色んな事を教えてくれる場です。この「鉋ひと掛けの思いやり」も、現場の職人さん達から教わった事です。誰が見ても、仕上がっている状態。そこまで当然仕上げるのが、職人のレベルです。しかし、そんな状態であるにも関わらず、もうひと鉋あてる。削り節のような、ミクロの仕事が最後に加わわります。他の職人さん達とて同じです。もうひと刷毛あてる、もうひと擦りする。時間にしたら数分数秒の事です。この行為は、プロとしてそれぞれの持つ、最大限の技術を発揮した後に加わる、思いやりの仕事なのです。契約社会の昨今、「頼んだこと以上」や「契約内容以上」を求めるのは、ナンセンスな事かもしれません。「それ以上」を加えることは不必要かもしれません。しかし、そんな昨今だからこそ、必要な事だと思います。
信頼される努力と「鉋ひと掛けの思いやり」。法律で縛られるのでは無い、ほんとうの絆のために、いつも心掛けていたい事です。
すんません前ネタコピぺで。次回はちゃんと書きます。(あまりにも間が空いたのでとにかく何かをってことで少し焦ってた いと) |
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