atelier shot 2003.6.16

  
 アトリエをプチ模様替えしてみた。(これをアップする頃はもうかなりたっているけど…)何もなかった壁面に棚を付け、CDやらなんやら置いてみると今までより広く感じるんだから不思議なものだ。ところでCDラックに見えるジャケットは「一青窈」のマキシシングル。最近お気に入りでよく聞いている。この前も仕事終わって家で夕飯食べていたとき、偶然TVで野外ライブを放送してたので、見入ってた。彼女はハーフだから曲調がそれっぽいのは知っていたが、ライブは二胡を使った演奏もチャイニーズエキゾチックで気分が良かった。酒の肴にはちょうど良い。音楽以上に、演出が文化的ハーフだったのがまた気に入った。晴れ着というか振り袖というか、着物の名前はよくわからないけど、それをカットして簡単にいうなら法被とキュロットスカートみたいな感じの衣装で登場したりして。どちらの文化も理解し、だけどどちらかに偏らず自由に表現できるのが上手い。それって彼女が生まれたときからまわりにあった環境なんだろうな〜。未来を感じさせるものがありますな。しかし日本人って元々そうだったんじゃないだろうか。
 聖徳太子の時代に中国と交流を始め大陸文化が大量に入ってきた。今の欧米文化が大量に入ってきてきているのと全く同じ。当時造られた法隆寺を始めとする寺社仏閣は大陸伝来をモチーフにした物が多くそれが時代を経て侘び寂の情緒を持って、それを見て海外の人々は「JAPAN」だという。最近は薬師寺等々寺社の改修復元が多いけれど、当時の時代にさかのぼって完成された物の中にある、朱を施されて仕上げられた物を見ると、大陸っぽくはあるけれどとても侘び寂の「JAPAN」っていう感じゃない。つまり当時の人々も海外文化に触発されて流行を造っていたのではないか。ま〜建築史を専攻しているわけではないので専門的に詳しくはわからないけれど。とにかく昔から日本人は他文化に興味を持ち自分のものにしてきたわけだ。
 伝統的な物を大切に継承していくことは大切な事だとは思うが、それのみにこだわっていく事には抵抗も感じる。こだわって天然記念物的になってもな〜。私のもっとうは「ミックスカルチャー・オーバーセンチュリー」。和・日本文化は大好きだし亜細亜欧米文化も興味深い、とくにヨーロッパの田舎は好き。古い物、時代も好きだし未来はいつも意識している。これって節操のないこと?でも文化を超えても時代を超えても不変なことは不変なのだし…。しかしせめて自分の生まれ育った場所の文化は理解し誇りを持ちたい。他文化他地域の人とコミュニケーションとるには自分ところの文化や食材や地酒(なんでここに来るんだ)は最低限知ってないとね。そんな思いを日々抱いて生きている私にとって「一青窈」はすうぅ〜と入ってきたんです。(いと)
 
 
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