袋津とは
 信濃川の河口で、「地図にない湖」といわれた湿地帯亀田郷。袋津は、その中でも古くから集落が形成されていた第一砂丘列(直山〜袋津〜城山9上に農村在郷町として発展しました。かつては、北は亀田寺の手前、亀田小学校内の一部、東は向山と麓の三条岡、西は都町旧都座付近にあった十郎橋、南は城山の一部(亀田中学校内の一部)までが「袋津村」でしたが、明治34年(1901)年に亀田町と合併、平成17(2005)年には新潟市と合併し、現在「袋津」という呼称は一部の住所表示に残るのみとなりました。

 「迷路のまち 袋津を歩く」は、歴史のある「袋津」の魅力を、地域外の人々はもとより地元の皆さんにもっともっと知ってもらいたいと考えて製作したものです。
 本紙では古くからの地名を表記してあります。古くからの地名にはそれぞれの意味があったりします。「浦向」や「宮浦」といった地名は本来の位置関係からすると「裏」の表記になりそうですが、「裏」だと印象が悪いため先人は「浦」をあえて使い伝え継がれています。「浦」という文字を使っていることで袋津の地域が、水路など水辺で潤っていた水郷であったことが容易に想像できます。また、「茨島」や「下里(さがり)」、「塚の山」といったすでに一部の人にしか使われていない地名もあります。市町村合併で新潟市となった現在、あらためてかつてのコミュニティーに立ち返り古くからの地名を大切にする必要があるとも感じました。
 袋津は歴史が深く、まちのつくりも個性的な「ヒューマンスケールのまち」です。さまざまな魅力に満ちた袋津が、これから先後世に渡って光り続け、地域に住む皆さんがまちに誇りを持ち続けられる事を願っています。ぜひ、本紙を手に袋津のまちを散策してみてください。きっと新しい魅力に出会えると思います。


製作にあたりご協力・ご尽力いただいた東小学校コミュニティー協議会委員の皆さん、そして取材に関して快く応じてくださった袋津住民の皆さんに感謝いたします。

参考文献
「亀田町史」「ふるさとの地名 亀田」「亀田の歴史」「亀田の歴史こぼれ話」「袋津保育園三十年のあゆみ」

「迷路のまち 袋津を歩く」
発行日:2008年
協力:亀田郷土資料館 館長 三村哲司
編集:かめだ学会 伊藤純一
デザイン:オフィスカイ(上田浩子・石垣言美)
発行:東小学校コミュニティー協議会

クリックすると拡大されます。